「何のために生きてるのか」という問いが浮かんだとき

特に何かがあったわけじゃない。

仕事は続けている。友達もいる。大きなトラブルもない。でも、ふとした瞬間に「自分は何のためにこれをやってるんだろう」という問いが頭を過ぎる。

夜中に一人でいると、その問いが少し大きくなる。

「何のために生きてるのか」という問いを持つことは、弱さでも異常でもない。この問いを持つこと自体が、自分の生き方をある程度真剣に考えている証拠でもある。

この記事では、次の3点を整理する。

  • 20代でこの問いが浮かびやすい構造的な理由
  • 「生きる意味」を考えるときに助けになる視点
  • 今日から少しだけ試せること

この問いは異常でも弱さでもない。20代でレールが途切れたとき、多くの人が同じ場所で立ち止まる。

なお、もし「消えたい」「死にたい」という気持ちが浮かんでいる場合は、この記事を読む前によりそいホットライン(0120-279-338)いのちの電話(0120-783-556)に電話してほしい。話を聞いてもらえる場所がある。


なぜ20代で「何のために生きてるのか」わからなくなるのか

この問いは、20代中盤〜後半に特に浮かびやすい構造的な理由がある。

「与えられたレール」が終わる時期だから

小中高大と、次の行き先はある程度決まっていた。「とりあえず次のステージに進む」という感覚で生きてこられた。

社会に出てからは、そのレールが途切れる。「自分で方向を選ぶ」ことが求められるようになる。しかし何十年もレールの上を歩いてきた後で突然「どこへ行きたいか」と聞かれても、答えられない人の方が自然だ。

この「レールの終わり」と「自分で選ぶことへの戸惑い」が重なったとき、「何のために生きてるのか」という問いが浮かびやすくなる。

筆者自身も社会人2〜3年目のある時期、毎日の仕事を続けながらも「これは本当に自分が選んだことなのか」という感覚が抜けない時期があった。何か特別に悪いことがあったわけではない。ただ「次の目標が見えない」という静かな戸惑いが、じわじわと「何のために生きてるのか」という問いに育っていった。その経験があるからこそ、この問い自体は弱さではなく、レールの終わりに立った人間の自然な反応だと感じている。

比較の対象が増えて「差」が見えやすくなるから

20代後半になると、同世代の動向が目に入るようになる。結婚した人、昇進した人、転職に成功した人、副業を始めた人。SNSにはその「うまくいっている瞬間」だけが並ぶ。

自分の日常全体と、他人のハイライトを比べてしまうと、「自分だけ取り残されている」という感覚が生まれやすい。そこから「自分は何のために生きてるんだろう」へとつながっていく。

他者と比べてしまう感覚について詳しくはこちら

「こうあるべき」という像との乖離が起きるから

学生時代は「がんばれば結果が出る」「努力は報われる」という物語を信じやすかった。しかし社会に出ると、努力が報われないこともある。自分の望む形にならないこともある。

「こうなるはずだった自分」と「今の自分」のギャップが積み重なると、「そもそも何のためにやってるんだろう」という問いにたどり着く。

孤独と将来不安が同時に押し寄せるから

20代後半は、学生時代の友人と疎遠になりやすく、職場の人間関係にも深い絆を作りにくい「中間地点」に置かれやすい。孤独を感じながら、将来への不安も重なる。

この2つが同時に押し寄せると、「何を支えに生きていけばいいのか」がわからなくなる。漠然とした不安の正体については別の記事でも掘り下げているので、合わせて読んでみてほしい。


「生きる意味」はどこから来るのか——3つの視点

「何のために生きてるのか」という問いに、一発で答えが出ることはほとんどない。ただ、考え方の枠組みを持つと、問いの重さが少し変わることがある。

視点①:意味は「探す」より「発見される」もの

精神科医のヴィクトール・フランクルは、著書『夜と霧』の中で「人生の意味を人間が問うのではなく、人生こそが人間に問いかけているのだ」と書いた。

つまり、「生きる意味を探さなければ」と焦る必要はなく、日々の出来事の中で少しずつ発見していくもの、という考え方だ。

明確な「これが自分の生きる意味だ」というものがなくても、

  • 誰かに「助かった」と言われた瞬間
  • 好きなものを食べたときの感覚
  • 疲れていても「これだけは続けている」こと

こういった小さな手がかりが、後から「あのときの自分が大切にしていたものだ」とわかってくることがある。

視点②:「目的がある人生」だけが良い人生ではない

「明確な目的を持って生きている人」がメディアやSNSに登場しやすいため、「目的がない自分はダメだ」という感覚が強まりやすい。

しかし、人生の大半の時間は「何かのために」ではなく、ただ日常を過ごすことの積み重ねでできている。目的がある人も、洗濯をして、眠って、ぼんやりしている。「目的がある人生 vs ない人生」ではなく、目的があるときもないときも含めて、人生は続く。

「今、明確な目的がない」状態は欠陥ではなく、多くの人が通る時期の一つだ。

視点③:「大きな意味」を探す前に「嫌じゃないこと」を積む

「何のために生きてるのか」という問いに正面から答えようとすると、どこまでも大きくなっていく。哲学的に突き詰めれば、誰にも答えられない問いに変わる。

そうではなく、スケールを下げてみることが助けになる。

  • 今日、少しだけ充実していた瞬間はどこだったか
  • 今週、誰かのために動けたことはあったか
  • 「嫌じゃなかったな」と思えることは何だったか

この小さな積み重ねが、後から「自分が何を大切にしていたか」の輪郭になっていく。やりたいことが見つからない状態との向き合い方にも通じる考え方だ。


「何のために生きてるのか」が重くなるパターン別の対処法

パターン A:疲れ・消耗が背景にある場合

「何のために生きてるのか」という問いが浮かぶ頻度が高い時期に、睡眠不足・長時間労働・ストレスの蓄積が重なっていないか確認してほしい。

消耗した状態では、物事が本来より暗く見えやすい。問いの答えを探すより、まず休むことが先になる場合がある。

無感動・虚無感が続く原因と回復のヒントも参考にしてほしい。

パターン B:将来の漠然とした不安が背景にある場合

「このまま続けていいのか」という将来への不安が「何のために生きてるのか」という問いに変換されているケースがある。

この場合、問い自体に答えようとするより、「今の生活の何が自分に合っていないと感じているのか」を少し解像度を上げて見ることが助けになる。

感覚 背景にある問い 試せること
仕事に意味を感じない キャリアの方向性への不安 「嫌じゃない仕事の要素」を書き出す
人間関係が希薄な気がする 孤独・つながりへの飢え 今いる人との接触を少し増やす
毎日が同じに感じる 変化・刺激の欠如 週に1回、小さな違うことをする
自分だけ取り残されている感じ 他者との比較・焦り SNSの閲覧時間を意識的に絞る

パターン C:クォーターライフクライシスのプロセスにある場合

20代中盤〜後半に訪れる「生き方の棚卸し」の時期——クォーターライフクライシス——の中で、「何のために生きてるのか」という問いが浮かぶことがある。

これは「病んでいる」のではなく、自分の価値観や優先順位を問い直している段階と捉えることができる。

クォーターライフクライシスの4段階と抜け出し方で、このプロセスの全体像を整理しているので読んでみてほしい。


「何のために生きてるのか」という問いと長く付き合うための3つのヒント

① 問いを「解決すべき問題」として扱わない

「何のために生きてるのか」という問いは、解けない問いかもしれない。それでも構わない。

問いと共存すること自体は、「問いを無視する」より誠実な姿勢だ。答えが出なくても、その問いと一緒に生きていくことはできる。

② 「今日できること」に視点を戻す

大きな問いを持ったまま、今日の小さな行動をする。両方できる。

「何のために生きてるのか」がわからなくても、今日誰かに親切にすることはできる。今日おいしいものを食べることはできる。今日やりかけのことを少し進めることはできる。

大きな意味がなくても、日々の選択は積み重なっていく。

③ 一人で抱えない

この問いが重くなりすぎているなら、誰かに話してみることをすすめる。

解決を求めなくていい。「最近こんなことを考えてる」と声に出すだけで、問いの重さが少し変わることがある。友人・家族・信頼できる人に話してみてほしい。

一人で考え続けることで問いがどんどん大きくなるループに入っているなら、カウンセラーや心理士に相談することも選択肢になる。


もし「消えたい」気持ちが浮かんでいるなら

「何のために生きてるのかわからない」という問いが、「もう消えたい」「いなくなりたい」という気持ちに変わっているなら、一人で抱えないでほしい。

以下の相談窓口に電話することができる(匿名・無料)。

相談窓口 電話番号 受付時間
よりそいホットライン 0120-279-338 24時間
いのちの電話 0120-783-556 毎日16〜21時、毎月10日は8〜翌8時
こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556 都道府県により異なる

「大げさかもしれない」と思わなくていい。電話していい状態だ。


よくある質問

Q. 20代で「何のために生きてるかわからない」と感じるのは異常ですか?

異常ではない。20代中盤〜後半は「与えられたレールが終わる時期」であり、将来を自分で選ばなければならないプレッシャーが集中しやすい。心理学的にもクォーターライフクライシスとして研究されている概念で、多くの人が経験する時期だ。「自分だけがおかしい」ということはない。

Q. 生きる意味は見つけなければいけないのですか?

必ずしもそうではない。フランクルが述べたように、意味は「探す」より「発見される」ものだという考え方がある。明確な答えがなくても、日々の小さな「嫌じゃなかったこと」「誰かのために動けたこと」を積み重ねると、後から輪郭が見えてくることが多い。

Q. 「何のために生きてるのかわからない」と「うつ」はどう違いますか?

「何のために生きているのかという問い」自体は、うつでなくても多くの人が感じる問いだ。一方、2週間以上にわたって気分の落ち込み・意欲の消失・睡眠や食欲の変化が続く場合は、心療内科・精神科への相談を検討してほしい。自己判断は難しいため、気になるようであれば早めに専門家に話すことをすすめる。

Q. 目的がないまま働き続けることへの罪悪感はどうすればいいですか?

目的がない時期が存在すること自体は問題ではない。罪悪感を抱えるより、「今日、何が嫌じゃなかったか」を観察することの方が、方向感覚を育てることにつながる。大きな目的がなくても、日々の選択は少しずつ積み上げられる。

Q. 「生きていてもしかたない」という気持ちが浮かぶことがあります

そのような気持ちが浮かんでいるなら、まず誰かに話してほしい。よりそいホットライン(0120-279-338)やいのちの電話(0120-783-556)に電話することができる。一人で抱え込まなくていい。


まとめ

  • 20代で「何のために生きてるのか」という問いが浮かぶのは、レールの終わり・比較の増加・将来不安が重なる構造的な時期のため
  • 生きる意味は「探す」より「発見される」もの——小さな「嫌じゃなかったこと」の積み重ねが後から輪郭になる
  • 「明確な目的がない時期」は欠陥ではなく、多くの人が通る段階の一つ
  • 疲弊・将来不安・クォーターライフクライシスなど、背景によって試せることは変わる
  • 問いが重くなりすぎているなら、一人で抱えず誰かに話す

「何のために生きてるのかわからない」という感覚は、あなたが真剣に生きようとしているからこそ浮かぶ問いでもある。答えがすぐ出なくても、今日を過ごすことはできる。その積み重ねの中に、答えの断片が少しずつ現れてくる。


著者について

20代の会社員生活を経てライター・ブログ運営者として活動。自身も社会人2〜3年目に「何のために生きてるのか」という問いと向き合った経験を持つ。フランクルの著作をはじめ心理学・哲学の視点を取り入れながら、20代が感じるリアルな悩みを整理・言語化することをテーマにしている。

最終更新日:2026-06-16